「セレンディップの三人の王子たち」竹内慶夫編訳

 セレンディピティという単語のもととなった本です。なんとなく読んでいて、一休さんを思い出しました(笑)。一休さんのアニメ、また見たいなぁ。


 あとがきを読むと、セレンディピティの意味についての解説が書いてありました。ちまたの辞書では、「思いがけないものを発見する能力。」などと書いてあるけれども、本当は「偶然才気によってさがしていないものを発見する能力」なのだそうです*1。「偶然」と「才気」の二つが抜けていると、確かになんだか意味の分からない、どこで使ったらいいのかも分からない単語になりますね。


 編訳者は、「セレンディピティ的発見」の必要条件として「なにごとかに集中する意識があって、周囲のできごとを注意深く観察し、それに瞬間的に無心に反応する心がつねにそなわっていること」をあげています。また、「気付いた偶然を解析する能力と根性を持っていること」が十分条件であるとも。これを読んで、私は、なんとなくとても楽しい気持ちになりました。「偶然に気付く」なんて、研究をしていたら最も興奮することの一つではないでしょうか。


 また、「セレンディピティは科学の分野のみで注目されているかのような印象をうけるが、日常生活にもおこりうることだ」と述べていました。私にとってこの言葉は、とても自分の価値観に近しい感じのする、受け入れやすい言葉です。「偶然に気付く」ワクワク感は、日々のいろいろなところに転がっているのだよなぁと思いました。

*1:言葉をつくったウォルポールという人の手紙を引用していますのでかなり信憑性がありそうです。