聴衆を寂しくさせない(聴衆と自分が分離しない)セミナー発表のためのコツ-その2-

 その2というか、これを明文化しようと思ったきっかけについて書こうと思います。
 私は、それなりの期間大学の研究室に在籍して、セミナーや学会などで研究発表をそれなりの数聴いた経験があると思っています。で、「発表がうまい」ってどういうことなのか、分かってきたような気がするのです。例えば、分かりやすい図表であるとか、ロジックに穴がないこととか、大雑把なことから説明して少しずつ詳しくしていくとかです。あと、スライドを見ていて目が疲れない、とか。でも、なんとなくそれだけじゃ足りない気がする、というのがこの記事をまとめようと思ったきっかけです。


 最初にそう思ったのはもっと前かもしれないのですが、はっきり頭の中でまとまったのは、先日ある人の発表を聴いたときです。まだ研究を始めたばかりなので、まとまっていないのが当たり前なのですが、その中でも彼女は現状と問題点をクリアに説明していて、とてもよかったと思うのです。でも、その中で彼女が繰り返し使う言葉に「ここはまだ考えが足りないところなので、これから考えて行こうと思っています。」というものがありました。確かにコレだけ書くと、なんということもない言葉なのですが、私はこれを聴いてなんとなく「これ以上つっこんでくれるな。」という何かしらのバリアみたいなものを感じたのです。


 後日、それを彼女に話してみると、彼女にとってその言葉はそれ程意味のある言葉ではないようでした。次のスライドに行く前のシメの言葉的なものだというのです。そうだろうな、と思いました。それ程意識して使っている言葉ではないだろうなと思っていたからです。彼女の中で「ここはまだ議論できるレベルにないな」という気持ちがあるところで使っていたようです。


 考えてみるとそれはとてももったいないことのような気がします。というのは、発表者が知らないことや思いつかないことで、他の誰かが何かよいアドバイスをくれるかもしれません。もしくは、アドバイスとしては役に立たないとしても、何か発表者自身が思いつくきっかけになるような一言をくれるかもしれません。聴衆にとってもそれは同じでしょう。でも、発表者が「議論できる部分」と「議論できない部分」を決めてしまうと、小説家が小説の感じ方を読者に制限するようなもので、相互作用から生まれるインスピレーションを受け取るチャンスがぐっと減ってしまうような気がします。そして、発表の場というのは、まさに「インスピレーションを受け取る」ためにあるようなものだと思うのです。


 もし、知らず知らずのうちに、そういう「制限」を聴衆や発表者自身にかけてしまうのなら、それはとても重要な問題のような気がします。そして、その重要かもしれない問題の実態をクリアにするために、とりあえずリストアップしてみようと思ったのです。さらにあわよくば、インスピレーションをより多く受け取ったり与えたりするためにどんなことが出来るのかが明らかになるともっと良いと思ったのです。というわけで、少しづつ色々と考えて行こうと思います。