映画:セブン・イヤーズ・イン・チベット

 心のそこから腹が立ってくる映画である。この映画の内容が完全に事実を反映しているかどうかはよくわからないが、それにしても酷い。映像化されるとここまでげんなりするものなのかと思う。
 それと同時に、以前から思っていた疑問がまた立ち上がってきた。それは、人にはそれぞれ「自分にマッチしたスケール」というものが存在するのじゃないかということだ。それは賢さとか優秀さとかそういうものとは別に。いや、むしろそれらの能力を正しく発揮できるスケールがあるんじゃないかということだ。それが変化するものなのか、それとも生得的なものなのかはよくわからないけど。
 多分、スケールの小さい物事を考えることが苦手な人もいるだろうし、逆に大きいスケールで考えるのが苦手な人もいるだろう。ちなみに私は比較的小さいほうだと思う。市長レベルの選挙だと、まだ候補者を選ぶとかいうことも落ち着いて考えられるのだけど、国の政治とかになってくると途端に駄目だ。真剣に考えても考えても、何が良くて何が良くないのか自分の中でうまく価値観を定めることが出来ない。決めても自分なりに納得した回答のような気がしないのだ。まぁ、そういうことを言うわけにもいかないから、納得できるようになるべく努力するつもりではあるんだけれども。